魅力

■魅力 第2回 アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派?

■ レギュラー執筆

■ 寄稿

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第1回 吉田司郎の場合

自分はストーリー派ですね。ジム・リーの絵が気になって小プロを買い始めたけど、断然アメコミの魅力はストーリーにあると思ってます。アートとしても、アレックス・ロスとかジム・リー、オールレッドとかは好きだけど、それよりもストーリーかな。多少絵が汚くても読んじゃうし。

アメコミのストーリーのすごいところは、その業(カルマ)がふかすぎなとこですね。もう目が離せらんない。だって30年ぶりくらいに出た敵なんて誰も知らないだろうに、注釈には「X-MEN○巻参照」としかかいてねぇんだもん。しかもアメコミ、基本的に再発行しないから参照したくても手に入んねーっつーの(笑)そこらへんが、なんつーか、アメコミから「俺とお前の間柄だから、そんな説明なんて言葉はいらねーな?」 みたいな仲間意識をかりたてるような連帯感を生んでくれるわけですよ。

例えていうと頑固親父の店の常連になったような優越に近いかな?一般の一見さんには「帰れ!」っていっておきながら、自分が店にいくと黙って、注文も聞かずにいつものラーメンをすっと出してくれるような感じですか。

ってわかんねーよな(笑)アメコミこれから読み始める人のために例をあげますと、小プロから出てた「WEAPON X」てウルヴァリンのオリジンを描いた作品があるんですが、これに出てくる3人のサイボーグは「WEAPON X」が出版される前の10年くらい前のエピソード「フェニックス・サガ」(マーブルXで読めます)に出てるヘルファイアークラブの雑魚戦闘員なんだよね。2コマくらい出てくる「その他大勢」の役で、誰も覚えてないのにいきなり「WEAPON X」でサイボーグになって蘇って復讐するために出てくんの。

これを日本で置き換えると、JOJO の第1部で石仮面つけたDIO に殺された警官がドイツの世界イチィィィィィ!!の技術でサイボーグになって 何の前触れもなく第5部に出てきてジョルノに襲いかかるくらいの設定ですよ。しかも「第一部を見てね」だけの説明で(笑)

自分、MACの古いのも好きなんですが、それはなんでかっていうと、古いMACを見ると、「あ〜この機械が今のIT社会を作ったんだなぁ・・・」と歴史の重みを感じるわけですよ。アメコミもその歴史がすごい魅力だと思います。基本的に終わらないマンガなんて、ファンにとってはたまらないですよね、ほんと。ほんのぱっとでのキャラにもちゃんとしたバックボーンがあり、そのキャラを調べていくと、古い歴史や埋もれたキャラが出てきて、どんどん、引き込まれちゃう。すごい情報量です。そして、それを読んでいる自分もアメコミという長い歴史の中の見物人、アメコミ界のウォッチャーに慣れる。というところがアメコミの魅力ですかね。

(文責 吉田司郎 2002/02/07)

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第2回 えむはし軍曹の場合

懸命な読者諸君なら既にお気付きのことであろうが,吉田司郎組長の言う3人のサイボーグは「WEAPON X」ではなく「Uncanny X-MEN #205」にでてきます(笑).どちらもバリー・ウィンザー・スミスが手掛けたウルヴァリンの話なのでこっちゃになっているんですね.今回,あえて組長のミスを修正せずにそのまま掲載したのは,これがアメコミ読者の姿をよく反映していると思ったからです.ええ.それ以前に僕が意地悪というのが先にたつのは言うまでもありませんが(笑)

組長のおっしゃるようにアメリカンコミックスには一見さんお断りの側面があり,それがマニア心をくすぐる仕掛けになっております.何年前の何々という設定を知る人と知らない人とで話の深みに違いがでてくる.勿論知らなくてもそれなりに読めるようにはなっていますが,話の中に読者が知らない要素を敢えて盛り込み,不安を与えてセールスを伸ばすという嫌な仕掛けがほどこしてあります.言うなればコミック同士がタテ,ヨコにハイパーリンクしているわけですね.こういう出版物にハマってしまうとコミックの面白さ以前にレファレンス(参照)することそのものが楽しみになってしまうという因果逆転が起こる事になってしまいます.たとえば,組長の言う3人のサイボーグは実は「ダークフェニックス・サガ」に出てるんだよという情報そのものが楽しみになり,また,その間違いを指摘するのも楽しみになってしまったりする(笑).

哲学者の東浩紀さんという方が書かれた「動物化するポストモダン」というオタク評論の本があるのですが,その中でオタクの世代的差異について述べられたところがありました.ヤマトやガンダムに夢中になっていた世代は物語の後ろにある「大きな物語」を求めていたと考察されています.例えば,ガンダムにしろ,提供される情報はテレビシリーズの週に1度30分しかありませんが,実際にはガンダムの物語世界はその30分のソトにも広がっているはずだと考えるわけですね.TVではアムロとシャアの死闘が描かれている訳だけれど,その陰には戦争に参加しない一般市民のくらしや,ガンダムを作った工場の人たちや,戦争による環境破壊なんてのもある(かもしれない).旧世代のオタクたちはその満たされない隙間を埋め,「小さな物語」の向こうにある「大きな物語」を常に求め続けるわけです.だから,彼らの活動は年表づくりだったり設定資料集であったりします.僕自身は多分に漏れずこの旧世代ですので,X-MENの断片をあつめて大きな物語を見たいと常に欲しているわけです.その思いがX-MEN INDE-Xというサイトに結実しているとも言えます.アメコミの場合,一つの出版社が「大きな物語」を軸に断片的な「小さな物語」を連発するので,「大きな物語」を求める人間は断片集めに踊らされることになります.

一方,東氏の考察では,新世代のオタク/マニアは「データベース型」であると指摘しています.たとえば「萌え」なんていうのが最近のキーワードのようですが,「萌え」の要素をミックスしていくという行為が楽しいようです.ガンダムの頃は到底考えられませんが,エヴァンゲリオンのキャラクターがあられもない姿で描かれたカレンダーや脱がせ麻雀の類が,ガイナックスから普通に売られているわけです.サンライズならやらんよな(笑).つまり,これはエヴァンゲリオンというテーマにまつわる要素,綾波レイならば包帯や無口,クローン人間という彼女を構成する要素があるわけで,彼女にまつわるデータベースから最も綾波レイらしい要素を中心に「萌え」要素とリミックスしていくということが抵抗なく行われるようです.考えてみれば同人などの活動ではこうしたことは当たり前に行われて来た訳で,そうした動きに敏感なガイナックスが商売に持ちこむのもそれほど不思議でもないこと.

さて,アメコミではどうかというと,エルスワールドとか,アルティメイトだとかWHAT IF?だとか,果てはマンガヴァースまであるわけで..(笑).旧世代オタクむけかと思いきや,新世代をもカバーするしたたかさがアメコミにはあるわけです.また,アーティストやライターがころころ変わるということも,ウルヴァリンならウルヴァリンというテーマを構成するデータベース,アダマンチウムだったり,変な髪型だったり,毛むくじゃらだったり,チビだったり,「戦いにかけちゃ俺の右にでるものはいねぇ!」だったりといった要素を様々にミックスされることを許しており,なんとも複雑な状況であると言わざるを得ません.

さて,じゃあ結局あんたアート派なの?ストーリー派なの?と問われると,うーん..と唸ってしまうのです.アートについては特定の人のファンでもありますが,ストーリーについてはそれほど自覚的ではありません.強いていえばクリス・クレアモントですかね.このクレアモントって人はとにかく伏線をはったり,昔の設定ひっぱりだしたりとレファレンスが多い人なんですね.僕はこのレファレンスで色んなコミック間をリンクしていくのが一番好きなのです.整理しましょう.僕はアメコミに大きな物語を求める人間でリミックスのようなものは好みません.アートについては特定のキャラクターの絵を好むのではなく,特定のアーティストの絵を好みます.ストーリーについては一つ一つのお話しにはそれほど興味をもっていません.基本的にソープオペラですから,これは名作だ!といえるような話はマンガにくらべるとむしろ少ないような気がします(僕の印象ですが.).しかし,それらの話がハイパーリンクしてくのはとても楽しいのです.つまり,僕は「レファレンス派」なのですなぁ(笑).ダメ?

(文責 えむはし軍曹 2002/02/07)

追記

上記,東浩紀氏の考察はもっと深いものですので改めて原典を読まれることをお進めいたします.なお,「大きな物語」論は,大塚英志氏が80年代末に発表した「物語消費論」がオリジナルであり,現在は角川文庫「定本 物語消費論」に収められています.本テクストはあくまで東氏,大塚氏の論評の表層のみを用いているため,誤解,誤読が含まれている可能性があります.その責はすべて著者であるえむはし軍曹にありますので,ご了承ください.

(文責 えむはし軍曹 2002/02/12)

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第3回 ふぉーりん。の場合

アートです。

アメコミに限らず、コミックの類は芸術作品です。

今回のお題は「アート派?ストーリー派?」ということですが、それはすなわち「絵画的表現がお好み?文学的表現がお好み?」ということだと思ってます。文学もアートの中に含まれるわけですが、ここではあえて突っ込まないでおきましょう(笑)

なので、なぜコミックが芸術作品かという点については「藝術の大氣」でやろうと思います。ていうか、それをやりたいがために「藝術の大氣」始めたようなもんなんです。だから、その大ネタをここで披露するわけにはいかないので(笑)今回は私がアート派な話だけをしたいと思います。アートの話はまたいずれ。

ところで私は常々、アメコミについて気になっていることがありました。

それは、なぜ作画の作業だけを「アート」と言い、その作画を担当する人、特にペンシラーを「アーティスト」と呼ぶのか、と。

例えば今年の1月に発売されたダークホースコミックスの「B.P.R.D.#1」を見てみます。そのスタッフはこのように記されています。

要点となるところだけを抜粋しますと上記のとおりです。

アメコミは分業制でストーリー、下書き、ペン入れ、彩色、台詞のレタリングなどが分担してひとつの作品が作られます。その中で作画作業のうち、鉛筆などでの下書きをする人をペンシラー(penciler)、それにインクでペン書きしていく人をインカー(inker)、彩色担当の人をカラリスト(colorist)と称するのが一般的です。

しかしその作画の作業をすべて一人でやってしまう人もいるわけで。あるいは下書きとペン入れをやる人も。「B.P.R.D.」におけるRYAN SOOKもそういうタイプの人なので「art by」とされてます。

ところが不思議なことにストーリーも作画もセリフも全部やっちゃう人が ARTIST じゃないみたいなんです。このARTという言葉は作画作業にしか適用されないのです。

もうひとつ例を挙げます。同じくダークホースコミックスの「MADMAN COMICS#1」(1994年4月発刊)では

となっています。

お分かりのようにストーリー、レタリングなどは ART の範囲に含まれていないのです。

ここで「へー、そうなんだー」と納得するに留まらないでください。私、この事実はつまり、「絵画だけは芸術やってるぜ!!」という強烈な自負心なのではないかと思うのですよ!

たとえ死んだはずのキャラが生きていて、そいつは実はクローンだったとしても、張り巡らせた伏線を全部おしゃかにしてしまっても、それを描き出す絵画表現は芸術だ!ARTだ!!とのたまっているのではないでしょうか。

古代エジプト、ギリシアからルネサンスを経て近現代に至るまでの歴史ある西洋美術の延長線上に、連綿として存在しているのがアメリカンコミックスだ!!と考えているのではないでしょうか。

真相は定かでありませんが、アメコミの非常に意識的な絵画への取り組みを見ていると、そんな気がしてなりません。そしてその絵画へ真っ向から取り組んでいる人を尊敬を込めてARTISTと呼ぶのではないでしょうか。

アメコミを見ていると、私は時々めまいをおぼえることがあります。こんな線が、こんな色が、こんな形があるのかと。こんなデフォルメ、こんな陰影、こんな動き!うおー!!その度に私の意識は、見たことのない視覚刺激を受けてふらついてしまいます。このトリップはアメコミにしかありません。

というわけでアメコミのARTはよいものです。

(文責 ふぉーりん。 2002/2/12)

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第4回 Lee の場合

僕はフィギュア派です(笑)。

とか言っちゃうとテーマとカンケーなくなるので、とりあえずどちらかに絞ろうと思うのですが、僕の場合、フィギュア買ってから「こいつどんなやつやねん?」と思って調べる為に読み始めるトコがあるので、正直あんまり「どっち派?」みたいなこだわりはありません。おもしろけりゃいい、みたいな。(もちろん、おもしろくなけりゃ読んでないんで、アメコミ自体もちゃんと好きです<笑>)

僕はバランスが大事だと思うんですよ。いくらアート(この場合絵のコト)とシナリオがすばらしくても、マッチしてないとなんか違和感あるし、逆にアートがシナリオを(もしくはシナリオがアートを)引き立たせられるものであれば、どっちかがちょっとアレでも(笑)読めてしまったりもするし。(でも名作「KINGDOM COME」はお互いがお互いの良さを引き出してる良い例だと思います。)アートがなくてもシナリオがなくてもコミックとはいえないし。だから、一概にどっちが好きとか言えないんです。僕はね。

とか言っちゃうと、テーマを全否定してしまっているし(笑)、どっちかにしぼらなあかんのでしぼってみます。感覚としてはアート派ですかねぇ。理由はシナリオを書く人よりも、絵を描く人の名前の方をよく知っているから(笑)。

それは実質絵の方が圧倒的に目立っているコミックにおいてはある程度仕方のないことだとは思いますが。でも自分はあの深みのあるストーリー構成にも惹かれているしなぁ。でも誰が書いてるかはよく知らない(笑)。うーん。やっぱアート派かなぁ。

といあえず、アートもストーリーも大切だと思いますので、願わくば起用する側がそのあたりをきちんと考えてブッキングして欲しいってトコですかね。って編集叩きか、俺は(笑)。

これって、ちゃんとテーマに即した話かなぁ?(笑)

でわでわ。

(文責 Lee 2002/2/17)

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第5回 DIE の場合

アメコミの魅力として、日本人には描ききれない独特なタッチと(現在は多少状況が変わりましたが)特殊な出版形態による壮大な歴史あるストーリーが挙げられるので、難しい選択ですが、僕の場合どちらかと言われたら、ストーリー派になります。もっとも個人的にはキャラクター派なのですが、ココではお題に沿ってストーリー派として話を進めます。

アメコミファンの中には継続して原書を取り寄せ、自ら翻訳し読んでいる程の猛者が数多くいますが、一般的には翻訳版が休刊してアメコミから遠ざかる方が多いと思います。前回、記したように僕も例外ではありませんでした。やはり、アメリカ文化に馴染んでいると言えども、言葉の壁が高すぎてやすやすと読むと言うコトがままならないからです。ストーリー派の僕としては言葉が解らないコトでその魅力が半減してしまうのですね。仮にアート派であるならば、英語が読めずとも現在も買い続けていたと思います。まぁ、そうは言っても、アートも重要なファクターであるコトは否定できないので、Leeさんが言っているようにバランスが大事だと思います。

僕は主に「X-MEN」が好きなのですが、その理由としては、多数のキャラクターが登場する群像性とX-MENという組織の存在意義が大きいと言えます。まず群像性についてですが、どのキャラクターも他のキャラクターと少なからず因縁があり、その繋がりの中でストーリーが進展していく点が挙げられます。完全に世界(社会)として成り立っているワケですね。組長がマニアックな例え話をしているんですが、理解できない方もおられると思います(笑)。実際、詳しく説明するのは困難なので、実際に手に取ってその世界に触れてみて下さい。

次に組織の存在意義ですが、彼等は人間とミュータントとの共存を掲げて活動しています。この世界では、生まれつき特種能力を持った人間をミュータントとして迫害しているという設定があるのでそういった存在意義が成り立つのですが、簡単に言っちゃうと人種差別をなくそうとしてるワケですね。基本的に「ヒトに有らざるモノの物語(悲劇)」が好きな僕としては、無視して通り過ぎるコトはできませんでした。叶い難い夢を掲げて努力するミュータント達に猛烈な魅力を感じたワケです。そして、現在進行中のストーリーについては分からないですが、日本語版でマグニートーが登場するストーリーは必ずと言ってもよい程、「人間VSミュータント」の構図が大きなポイントとなっています。現実世界でも昔程ではないと思いますが、依然差別は解決し難い問題として存在し続けていますし、悲劇的な事件も起きています。言わば、「X-MEN」は現実の写し鏡でもあるワケです。と言うワケで、僕はX-MENを通して現実の問題点を見極めるコトができればなと思っています。そして、永遠とも言えるこのテーマが、僕を魅了して止まないのです。

えー、他の4人とは違い、いささか重いテーマの魅力について述べてきましたが、冒頭で述べたように本来はキャラクター派なので、最後にそのコトについて語りたいと思います。

もうね、一目惚れなワケですよ。ウルヴァリンの黄色いタイツ姿に(笑)。反則だよな、実際。それにあのツメ。何あれ!?過去があやふやとか、一匹狼とか、ケガしてもすぐ治るとか、オイシイ設定を全部持ってて向かう所敵無しなのに、身長160cm。このギャップですよ。このさじ加減がやめらんない。ヴルヴァリンだけで御飯3杯はイケるね。しかも丼。もう(コミックの世界だけど)存在してるだけでいい。他にも、ホットなクールガイ、アイスマンとかNo!!と言える日本人、サンファイアとか挙げ出したらキリがないくらい魅力的なキャラのオンパレードですよ。ひいちゃった人、ゴメンなさい。もうしません。

てな感じで、5人で手前勝手な持論を展開して来ましたが、結局、ストーリー派=1・アート派=1・レファレンス派=1・フィギュア派=1・キャラクター派=1と「ストーリーかアートか?」と聴かれているにも関わらず、見事な結果に終りましたが、これもアメコミの醍醐味と言えるのではないでしょうか?

長らくのお付き合い有り難うございました。

(文責 DIE 2002/03/01)


■ 寄稿

アメコミ,あなたはアート派?ストーリー派? 第6回 YIG の場合

「アート?お芸術なんて高尚なもんわかるかっつの!」
「ストーリー?・・・英語が読めねぇんじゃぁゴルァ!!」

と、言うことで逆ギレから入ってみるのも近頃の世相を反映して良いかなと(笑)。

いえね、絵に好き嫌いもあるし、英語も俺なりに頑張って読んだりしてるんですけどね。 でも「何で苦労してわざわざアメコミ読んでんの?」って聞かれたらやはりどちらとも言いがたい。

Q:じゃぁ、何で? A:世界観にホレた。

アメコミの特徴として、ユニバース構想って言うんですか?同一世界上でいろいろな登場人物がそれぞれの人生を送っている、コレがいいんですよ。そしてどこかで誰かのやった行いが別の誰かに降りかかってくる。 また、いろんなタイトルを読むことで世界を多角的に見ることができる。 俺にとってのアメコミの魅力って、やっぱこれだなぁ。

基本的に日本の漫画は1タイトルが1つの世界で完結していますよね。仮に複数作品で同一の世界を描いたとしてそれは時間的に直列であったり、後から書かれた外伝的なものになってしまったりと、限界があると思うんです。当然ですよね、1人の作家が書いているわけですから。でも、アメコミではキャラクターがタイトルに縛られずにいろんな作品を行き来するし、大きなクロスオーバーが起こったとなれば「同一世界」で「同じ時間内」に「複数主人公」が「複数タイトル」で「同じ問題」について取り組んだりしちゃうのです。しかもそれが実世界の出版状況の中で「同時進行」。1つの世界を1作品とよぶのであれば、アメコミは1出版社で超巨大な1作品と言ってもいいかも知れませんね。(その分ジャンル的な幅の狭さ、というのはありますけれども。)

そうそう、アメコミって「歴史小説」と似てません?同じ時代を背景とした群雄割拠の物語。それぞれの武将を主役として描かれる物語が同じ時間軸上に存在する。 アメコミの出版社にあたるストーリーにおける権力者は「歴史」であり、作者、読者がその「歴史」を共通前提としている。エルスワールドにあたるものも結構あるしね。「反三国志」とか(笑)。そういうネタ物、俺大好きなんですけど、こういうのって共通前提となる物がないと出来ない物ですもんね。あ、ほかにも複数神を持つ文化での神話ってのも構造的には似てるかもね。

ご存知の通り、アメリカは歴史、文化の薄い国。特に自国を舞台にした闘争、戦乱の歴史というのはごく少数で、いわゆる英雄が少ない国だと思うんですよね。アメコミの構造というのははそんな歴史、神話を持たないアメリカだからこそ生まれた文化なのかもしれませんね。しかも「歴史小説」が「過去に起った出来事」が前提となっているのに対し、 アメコミは架空であるがゆえにその「歴史」自体がどんどん更新され続けて行く。

すげーよ!これでしょ、コレ!コレがいいんだって!

と、言うことで僕はどちらかといえばストーリー派に分類されると思いますが、あえて世界観派と。いや、無理に他の人と違うのにしなくてもいいんですけどね(笑)。1つ1つのストーリーでは無く全体を統一する世界観、その構造がすばらしいのだとあえて主張したいのですよ。私としては。いかがなものでしょうか。

喩えついでに自分の畑で例えると、日本の漫画はドラクエやFFみたいな従来型で、アメコミはオンラインRPG、って所かなー。(あ、ロボット大戦が一番近いか?)

(文責 YIG 2002/03/04)

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